映画犬王の感想
再掲(初出:2022-06-06 10:28:59)
後半良かったところしか言わないと思うので初めに悪かったところいうね。
まず、画面の演出。
映像にピントが合わないっていうか線がブレてるっていうかそういう絵が”演出”として出てきてそれは「モブがいることがわかればOK細部は見なくてよし」の演出なんだけどその時の絵が視力悪い民に馴染みのあるピント調整機能が働いていない時に見える世界に近しかったので鑑賞中に何回もありゃ、目が疲れてんなみたいな気持ちになって意識的に調整するんだけどそもそもピントを合わせようとしている絵がピントの合っていない絵なので。みたいなのが頻回で集中力がいちいち切れた。
後半にはああいう絵面減ってたように思うけど意図的に減ったんかな、自分が慣れただけかな。
あそこ無駄に疲れたので見なくていいを示す演出はもう少し分かりやすいものにして欲しかった。
散漫なモブ(前半)と集中しているモブ(後半)の対比とかなんかな。
悪かったとこその2
今時異形=呪いというのを当たり前のようにやるのマジでやめろ。犬王は中盤でこれは呪いじゃないんだ!みたいなセリフが出てきましたがそれが出たのが中盤ってことは前半は今更語る必要もないよね呪いだよ。で通してたってことだからな?
先天的に他人との違いを持って生まれてきてそれを解消することができない人はいるんですよ。今日も明日も生まれてきてますよ。
平成版どろろはこの点について”奪われた”という文脈を強調することで対応していたけど犬王は中盤まではなんのフォローもなかったように思う。
ここから先は広く感想。
ボヘミアン・ラプソディを事前に見ておくことで理解が早まる邦アニメなに?ロックだからですね。分かりました。
予告にエルビスあったから普通にオモロだったんだわ。
どろろで見た演出がいっぱい持ってこられてたけどでも後天的全盲の”見て”いる世界の描写よかったな。好きでした。
多分自分の住んでいた集落ならもっと色々見えてるんだろうな。
京都で見るの楽しいよみたいな話を事前に聞いていたけど福岡で見るのも楽しかったし広島で見るのも楽しい気がする。
でも京都だとあぶり餅食べに行けるのはいいな…。
これが都の香りよ。のとこ好きでした。谷一さんと出会ってしばらくの辺、もっかいみたいな。
好きなところが全体的に琵琶法師コミュニティの諸々に集まってて描写が良かったねぇのところが多い。
友魚の琵琶が波と魚なの好きだしあと一回頭丸めたところもなんかすごく好きだったんだよな。
平家の新しい物語を拾った琵琶法師が襲われる話、後半の種明かしから見ると完全な叙述トリックでよかった。
”最近”襲われるって話だったじゃん。でも全然最近じゃないじゃん犬王生まれる前の話じゃん。あ、地方に情報届くの遅いのか…!南北朝時代だから…!?になった。
犬王の演目が平家物語の中でも壇ノ浦にまつわる話ばかりだったの、好きだな。壇ノ浦の友魚。
平家蟹の使い方とか見ててもそうなるの当然なんだけど好きだな。
犬はやはり蔑称だなーとかしかし犬王、猿臂だよな…。とかが一人で楽しかったんだけど犬王が友一と出会って交流を深める中で犬王の周りに一緒に育ったワンちゃんがいなくなっていったの寂しいんだよな…。
最初の演目の時とかのその人員どっから連れてきたん?の協力者のみなさんが実はワンちゃんたちが魔法で変えられた姿でした。みたいなのない?ないか。シンデレラじゃないもんな。
犬王の家にはお金があってそうでなくてもついてくる人はいる。
出演脚本演出が犬王で作詞作曲が友一ってことなんか?
友一とお父さんの会話が割と全部好き。
なんだかんだ父の望みと方向性が一致していた息子だったな。
ととやーいの辺めっちゃすきなんだよな…。
そういえば序盤で剣が見つかった時に私的盛り上がりの第一のピークを迎えたのであそこで災で人が死んだり友魚の目が見えなくなったりで一回感情が落ち着けたの良かったです。
あのままテンションに登って行かれたら大変なことになっていた。
語りの内容が大事だった犬王と語りの手法が大事だった友有が終盤では犬王の作品を語ることを重要視するのは友有だったのよかったですね。まぁ犬王はもう語る必要がなくなっていたので大事なのは友有を守ること、で当然なんですが。
犬王と兄たちの関係、兄たちに対してどの面下げて的な感想を持たんでもないんだがそもそも犬王の幼い頃の姿では人の中には馴染めなくて当然という意識は犬王の中にもあったのであそこ確執ないんだな…。
見えない相手となら人としてコミュニケーションが取れるのだという発見はあの橋の上でのことなんだよな。
人外と人間の交流を愛好するものとして犬王と友一の人間と人間との交流好きです。
犬王、もうやることないんだな…。犬王が申楽をどれくらい好きなのか、あんまりわからない。演目よりは友有の方が大事。
やっぱり、考えるべきは竜宮をやる前、鯨をやる前、に語ることをやめろと言われたら犬王はどうしていたかな気がしますね。いいはなしだったなぁ…。
視覚は脚が伸びる前からあった犬王と後天失明の友魚…。好きだ…。
お魚を谷一さんに食べやすいようにしてから自分は“普通に”食べるとこめっちゃ好きだったな…。
作品としては白と赤なのに波の音には青が見えるところとても好きだしもしかしたら波の音の青には色のバリエーションがあるかもしれないし。
見えないと、泳げないんだよな…。船にも乗れない。海には戻れない友魚。壇ノ浦の友魚。
ととには海に戻れない友魚のきもちはわからない。海で死んだから。
友有はかつて友魚であったので二度も”私”を奪われるのには耐えられなかったんだよな。という印象。目が見えないと泳げない→歩くだと読んでる。だからあの足元をうつすのが長尺だったんだと。
語られなかった物語の話を閉じるにあたってもっと「語られなかった」理由。その”理由”は本当に正当といえるのか?のところもっとちゃんと書いてほしかったな。
いや、”現代”に語りなおしたよ。この映画を見たあなたたちはしっているはずだという話なのは分かるんだけど、政治の都合で語られなかった物語があることを主軸にするにあたり政権側への怒りをほとんど描写していなかったというかあくまで友有の感情の話しか書いて無くなかった…?
この物語、語られなかった物語を現代に語りなおすにあたり誰が悪なのかのところはもう少しはっきりしてほしかった。
「語られなかった物語」の物語の中の悪(犬王の父)と語られなかったのはだれのせいなのかという意味での悪(朝廷)は両方しっかり立たせてほしかったです。