ザウリの散文倉庫

映画、ゲーム、観劇、美術展の感想などと左利きライフ。

ミュージカル刀剣乱舞つはものどもがゆめのあと覚書

再掲(初出2018-08-31 15:25:10)

 

<はじめに>
つはもの、わたしの見方だと話の筋が複数ありすぎてそれが楽しいし見るたびに発見があるんだけどでも全部拾うの難し過ぎて人の感想見るたびに新しい気付きがある視点を整理したい自分用メモ。
阿津賀志山異聞を観客が見ていることは大前提だったと思う。
というかアレでみんなあらすじ知ってるよね?からのやりたい放題だと思う。

<キーワード>
・物語と歴史、正しい歴史とは何か。
・刀剣男士の実在性について。

<予備知識>
登場キャラクターの2018年時点の資料としての残り方について
現存組  →泰衡、頼朝、三日月宗近、一応髭切
非現存組 →義経、今剣、岩融


三日月宗近藤原泰衡
感情移入。友。泰衡殿は本当に良かったな素晴らしいな。三日月、望まぬ仲違いよりは本人が望んだ形での決別の方が望ましいと考えたりしたのだろうか。納得は全てに優先

<小狐丸と三日月宗近
基本的にはわかり合ってるのがデフォルトなので三日月の無茶な振りにも小狐丸が対応できる。
でも今回は、って話だよなぁ。
何回も見ているうちに、確かな存在は川の流れのような歴史の中で常に役割を演じなければいけないけれどそもそも骨が伝承の方にある小狐丸は歴史の上では任意の行動をしたりしなかったりできるっていうのが二振りの大きな違いなのかなとか。
だから小狐丸は自身の存在について考えたことがないし今後も考えないし三日月のやっていることが理解できないけどでも一つのやり方として認めたという話?
うーん、三日月が自身の存在について考えた結果が人間への感情移入だったのか

<今剣と源義経
源義経は歴史と物語がごっちゃになった刀ミュにおける最高の題材であったなぁと確信した。つはものが好きです。
数々の伝説も一部ラストを見るとヒーローに死んでほしくなかったたくさんの人がいろんなことを考えたんだよなぁってなるしわたしも彼を後世に語るの物語の一部として生きていこうと思いました。感情が重い。

<源氏兄弟>
この本丸の二人絶妙なバランスだな。同じ意見を持つことは結構少ない。兄弟である。
膝丸の名前をよぶ髭切が結構解釈違いなタイプなんだけど、その理由は兄者が弟の名前を呼んだらその名前の通りになってしまうから、みたいな思想で話の流れとして確かな存在と曖昧な存在と歴史の流れは河のような〜の話をやった後で呼ぶ”膝丸”の名前は弟が喜ぶから以上でも以下でもない気がしてきた。曖昧なものをたった一つの行動で決めることはできないので何周もすると様々な歴史ができるのだという学び

ここから下は6振ともの実在性の話を全部そろえてニヤニヤしたい私の妄想を多分に含みます。
残りは岩融の話と小狐丸の話だね。

<小狐丸と岩融
これはたぶんまぁわたしの邪道な楽しみ方かもと思うんですけど、自身の実在性についてって話を岩融が小狐丸に振るところ、小狐丸を逸話の付喪神としか認識していない私はすげぇこと聞くな。って思ったりしたんですよ。けど小狐丸アレたぶん自らの存在について考えたことないよね?ないでしょ。あの質問を受けて考えるとかもしないでしょ。自分の存在に確固たる自信があるでしょ。かわいい好き。

<弁慶と岩融
前の主が強くてなぁの再演!ありがとう
この二人についてはわたしが勝手につはものみる時に付与してしまってるのに”非実在”という属性があるんですけどつはもの的には今剣ちゃん、ゲームと同じで非実在という扱いになったんだけど歴史上の人物であり”前の主”である源義経公とお話しする時間をたくさんもらっていたわけですが武蔵坊弁慶、弁慶自体が歴史上に存在したか不確定なんだよね。いわんや弁慶の薙刀の実在性をや。
ミュでこの話題が取り扱われることはないと思ってるし岩融極はどうなんだろうなー、わからんなーって楽しみにしてるけどまぁわたしは人々に語り継がれたものとしての武蔵坊弁慶めっちゃすきなのでつはものがめっちゃ好きです。

っていうかこないだつはもの分解酵素持ちすぎな人が初めてつはもの見る瞬間に居合わせたんですけど酵素持ってるとあんなにさくさく読み取れるんだね、すごいね
わたしは何回も見て何回も新しい発見をしてキャーキャーしてるのが楽しいタイプなのでつはもの自分に向いてると思ってるんですけど彼女はすごかったです。